源義家(みなもとのよしいえ)

源義家(みなもとのよしいえ)
1039年-1106年
平安時代後期の官人、武将。
清和源氏の源頼義の子。
母は桓武平氏の平直方の娘。
石清水八幡宮で元服し、八幡太郎と称した。
父とともに前九年合戦(前九年の役)に加わり、その功で1063年に出羽守となった。
東国や河内国などの受領となり、1083年には陸奥守・鎮守府将軍となった。
同年に始まった後三年合戦(後三年の役)に介入して、最初は清原真衡に味方し、その死後には清原清衡(藤原清衡)に味方した。
1087年に清原家衡を滅ぼして勝利したが、朝廷に私戦だったされたため恩賞を得られなかった。
そこで従った武士には私財から恩賞を与えたとされ、東国武士との関係が深まったという。
一方で陸奥守として都に物資を納めることができなかったため、しばらくは官職に就けなかった。
武士としての名声が高まり白河上皇に警戒されていたが、1098年に院の昇殿を許された。
晩年には河内源氏のなかで内紛が起こったり、子の源義親が罰せられるなど問題が相次いだ。
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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